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管理人コラム

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土筆といかなご

CATEGORY:その他

2016-03-08

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ワインと関係のない話で恐縮です。今日は本屋に行って何かワイン関連の面白い本はないかと探したのですが、ぜーんぜん無い。ワイン売り場に行っても面白くないし、店の人に何か聞いても返事は返ってこないし・・・。この倦怠感・停滞感は何なのだ?

今朝、毎年土筆の生える場所を見たら、早くも土筆が生えていました。私が土筆を探しているなと察知した近くにたたずんでいた御婆さんが、急に元気になって「土筆生えてる?」としっかりした声で聞いてきました。立っている姿は元気がない様だったのに、彼女も停滞感だったのかも知れません。

例年はお彼岸のころに出るので、2週間は早い。

あともう一つ、昨夜家に帰ると、玄関を開けたとたんに醤油の匂いが立ち込めていました。「何か辛いにおいがするけど・・・」というと、母が「いかなご炊いてるねん」と言います。今年は成長が早い様で、いかなごの寸法も少し大きいような。



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ワインと茶とイギリスと

CATEGORY:その他

2016-02-18

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ティム・アトキンのワインレポートを見てつくづく思った。
「ワインも茶もイギリスの影響力が大きいんだなあ」と。

同レポートを見ていると、日本に輸入されていない銘柄の多さに愕然とする。それも彼らの評価が高い銘柄に、続々と知らない銘柄が並んでいる。その逆もある。日本で輸入されているそこそこ優良な銘柄でも、彼らのリストには上がっていないものが多数ある。

ワインの年間輸入量は、OIVの資料によると、1位がドイツで1613千kl、2位がイギリスで1330千kl、3位がアメリカで1016千klである。周知のとおり、このうちドイツとアメリカは自国でのワイン生産も盛んだ。参考までに日本の輸入量は208千klだそうだ。(いずれも2011年)

それにしても上位3国はお世辞にも美食の国とは言い難いし、結局は経済力のなせる技ということなのかと思う。

歴史的にはアメリカなんかよりイギリスの方がずっと昔からの輸入国・お客様だから、彼らが何百年もずっと輸入し続けている銘柄もあるだろうし、イギリスが買い占めてしまって日本に入らない銘柄も沢山あるはずだ。特に生産量の少ない銘柄なら、日本人が買えるチャンスは少ないということになる。

茶の世界もイギリスは強い。我が家は大量の紅茶を消費する家庭で、昔一度、何とかして安く紅茶を仕入れられないものかと画策したことがあった。その時僅かにやっと安く仕入れられたのは、スリランカの地元民が使っている、いわゆる「ダスト」、すなわち紅茶の生産工程で出る細かく砕かれ過ぎたものだった。茶商に聞いたら、紅茶市場はイギリスが牛耳っていて、価格も彼らの相場で決まってしまうということだった。

イギリスやアメリカが買ってくれなくても、海外に売りたいという優秀な作り手を探すというのがインポーターさんの使命だということを再度納得したような次第だ。



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『ワインで考えるグローバリゼーション』を読んだ

CATEGORY:本・テレビ

2016-02-03

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『茶文化学』を読んで、「茶」の伝播に関わる驚きを書いた時に、これを「ワイン」に置き換えるとどうだろう・・・ということで買ったのが『ワインで考えるグローバリゼーション』という本だ。山下範久著。

さて、この本は、表題通りの内容で、グローバリゼーションがテーマである。従って「伝播」はテーマではな。グローバリゼーションというのは日本語にすると国際化ということになってしまうが、もう少し噛み砕くと、世界中で産品が共有できるようになるということであり、世界のどこでも、他の国のモノが手に入るようになることである。

対極にあるのは、一番突き詰めると自給自足とか地産地消である。グローバルという視点でいうと国産国消かも知れない。

ワインにせよお茶にせよ、最初はそれを飲む人の住んでいる場所の近くで、あるいは自分の管理する土地で作って自分たちで飲んでしまっていた。それが、もう少し進むと、ワイン産地とか茶処というのが出来上がる。そして作っている人たちがそれを他の場所に売るようになる。他の場所と言っても、フランスならフランス国内とか、日本なら日本国内というレベルに売られ(運ばれ)、消費される。

更に進むと、それが国と国の取り引きに発展する。先に書いた「茶」の伝播の驚きは、「茶」が産地以外の土地で必要不可欠なほど普及し、それを運ぶために茶葉の路なるものまで出来てしまったというところだった。

さてワインはというと、もちろんシルクロードを通って遠く日本まで運ばれたワインもあったし、鉄砲などと一緒に海路日本にやってきたワインもあったが、日本でそれが生活の中で欠くことのできない存在にまではならなかった。茶葉に比べたらワインは重いので、運搬の面では不利だ。

■ ワインが茶と違うところ

ワインの路はあったのか? 結論から言うと気の遠くなるほど長い道は無かったというべきだろう。ワイン=ぶどうの果汁を発酵させた酒は、ぶどうの育つあらゆる場所にあったに違いない。しかし、大規模なワインの伝播・拡大はローマ人の移動とともに始まり、彼らの多くは移動先でぶどう園を作って現地でワインを造るようになる。つまり人の移動(しかも住む場所を移動する)とワインの伝播が平行しているのだ。移動先でもぶどうが栽培可能だったこと、そしてワインは重く、大昔はアンフォラという陶器の甕のようなものにワインを入れて運んだので、重いわ割れやすいわというシロモノだったから、遠くから運んでくるより自分たちで作る方が良かったのだろう。

木の樽はローマ人が現在のフランスにたどり着いてからワインの貯蔵や運搬に使われるようになったものだそうだ。

中世になり、イタリアやフランスで大量にワインが造られるようになったあと、ワインを運ぶという点では、ボルドーのワインをイギリスへ運ぶのが代表的といえる。しかしボルドーとイギリスは目と鼻の先だ。

■ フィロキセラ禍が招いた新しい土地でのワイン造り

19世紀にヨーロッパで起こったフィロキセラ禍は、多くのぶどう園を壊滅状態にした。この事件が引き金となって、アメリカ大陸やオーストラリアなどの新たな地でのワイン造りが加速する。

日本に輸入されるボトルワインの量において、チリがフランスを抜いたというニュースは普通のテレビのニュースでも流れたので、当然ご存知のはずだ。こと日本に限ってはやっとそういう事態になったわけだが、本家と自認するフランスやイタリアはもっと早くから新世界と呼ばれるチリやアルゼンチンに脅威を感じていただろう。

この本では、そのあたりの事が中心に語られている。フィロキセラ禍のあと新大陸に渡ってぶどう園を始めてもすぐにワインはできない。それに二つの世界大戦があり、結局落ち着いてぶどう園の経営をしたり輸出ビジネスをできるようになったのは戦後の事だと思う。1980年代ごろ、一方では新世界ワインというのが日本でも話題になり、時を同じくしてイタリアワインや、フランスならラングドックなどのワインの品質が格段に上昇した。

これは必然だという。だって、安いバルクワインなら新世界の方が安いのだから、安物を作っていたのではヨーロッパのワインは負けてしまう。高付加価値化は生き残りの道だった。

もう一つ。そうした新世界では、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、シャルドネなどのメジャーな品種が植えられたので、同じぶどう品種で造ったワインというだけでは差別化ができない。そこで本家?のヨーロッパではワインそのものの美味しさ以外の部分にありがたみを持たせる必要性が出てきた。それがテロワールという概念だ。同じ品種のぶどうでも、テロワールが違ったら別物なんだよという付加価値を押し出したのだ。

この本には、それ以外にも興味深い分析が散りばめられており、また著者は本当にワインがお好きで、身を以て体験も重ねておられる上に、国際関係学という専門分野の知識や哲学的な知識も豊富、かつ文章もテンポ良く、楽しく読める本だった。

■ インドという新世界茶の出現に負けた中国茶

茶葉の方でも、イギリスがインドやセイロンで大規模なプランテーションを営むようになると、本家の中国茶は急激に力をなくし、売れなくなったそうだ。売れても値段を叩かれた。

昨今の日本の家電なども同じ事。新興工業国から供給される安い家電に負けてしまった。

多くの産業が、グローバリゼーションの中で、同様の憂き目にあっている。また、そうなった時の旧陣営の対応方法も結局は同じようなものだ。



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「試(こころみ)」というコンセプトの日本酒バー

CATEGORY:レストラン/ワインバー

2016-01-25

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またワイン以外の話題で恐縮です。
世界遺産 姫路城の入り口、JR姫路駅の高架下に、「試(こころみ)」という名前の日本酒バーがある。

一度行ってみたいと思っていて、1月23日にやっと実現した。

折角だからまずは平成の大修理が済んだ姫路城に登った。まさに登ったである。降りてきてスマホの歩数アプリを開くと、何と20階分の階段を昇降したと出ている。寒いから厚着をしていたせいで、汗びっしょり。そして、16時過ぎに「試」に着いた。

場所が分かりにくくて迷ったので、行き方を説明すると、姫路駅の高架下の中の、東の端の方が「ビエラ姫路」というショップ街になっている。その中に「試」はあった。

入ってみると何とすべて立ち飲みで、座れる所は無い。20階分昇降して疲れた足には少しきつかった。入って右手がカウンターで、タッチパネルのパソコンディスプレイが2台ある。お酒の特徴や名前などで検索ができて、そのまま注文もできる仕組みになっている。カウンターの後ろと、左手の壁全体には、720mlのお酒のボトルが沢山飾ってある。

噂では700種類と聞いていたが、260種類前後というのが実際の様だ。すべて兵庫県内で造っている日本酒である。ショット売りで220円から高いもので430円だった。あては、本当にちょびっとの量の蒲鉾とか和え物など。あくまで日本酒の利き酒をするのが主目的の店だ。燗をしたいときはセルフでできるようになっている。お酒を注文すると、小さくて黒いお盆の上にグラスと該当するお酒の名刺大のカードを置き、そこにお酒をなみなみと注いでくれる。カードには銘柄名・特徴・分類(大吟醸など)・蔵元・原料・アルコール度数・味わい・日本酒度が書いてあって、ボトルの外観写真もある。また、QRコードが印刷されていて、飲んだお酒を記録できるようになっている。

なかなか面白いコンセプトの店だ。ワインでもこういうところがあるといいんだけど・・・。

ただ立ち飲みではゆっくりと賞味できないし、あてもあまりにもちょびっと過ぎるのが残念だった。



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恐るべき「茶」の魔力・・・はたして「ワイン」の魔力は?

CATEGORY:本・テレビ

2016-01-22

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しばらくこのコラムを書いていなかった。書きたい事がなかったのだ。イマイチ盛り上がりに欠けた年末年始のワイン。そして、発信される色々なワイン関連のニュースを見ても、ピンと来るものが無かった。

というワケで、今回は今読んでいる『茶文化学』主編:徐暁村(シュー・シャオツン)から知り得た「茶」の、それも、中国から海外への「茶」の伝播に関わる驚きに触れてみたいと思う。

■ 何故そんなに「茶」が広まったか、不思議に思いませんか?

私は物心ついた時には既に生活の中にお茶があり、何故お茶を飲むのかなんて考えたこともなかった。多くの日本人は私と同じ感覚だと思う。(しかし、もう随分前に、私と同い年の人が、家では水とコーヒーしか飲まないと言っていた)

しかし、日本だって、庶民が日常的にお茶を飲むようになったのはそんなに古いことではない。大正末期から昭和初期の事だそうだ。但し、日本にお茶が伝わったのは、9世紀のことで、永忠や最澄が中国に留学して茶の種を持ち帰った時と言われている。その後、20世紀になるまで「茶」は特権階級やお金持ちの飲み物だったワケだ。

インドなどで飲まれる「チャイ」も、英国などで飲まれる「ティ(紅茶)」も源を辿れば中国なのだ。「チャイ」にしても「ティ」にしても、それぞれの国では極めて日常的に当たり前のように飲まれているが、それほど多くの人々を魅了する「茶」とは一体何なんだろうか? もちろんコーヒーにも同じような事が言える。

単に渇きを癒したり体を温めるだけなら水や白湯でいいわけで、それ以上のプラスα、例えば気分が落ち着くとか、反対に高揚するとか、さっぱりするなど、無意識のうちに気分が良くなる効果が「茶」や「コーヒー」にはあったのだろう。

■ 茶の伝播ルートの中で驚いたのが「茶葉の路」

「茶文化学」で紹介されている中国から外国への茶葉の伝播ルートは大きく分けて4方向ある。

①東向き: 唐・宋の時代の朝鮮半島・日本への伝播
②西向き: シルクロードと茶馬古道を経由した中央アジア・インドへのルート
③北向き: モンゴルからシベリアを経由する「茶葉の路」によるロシア・ヨーロッパへのルート
④南向き: インドシナ半島から海路によるアフリカ・ヨーロッパへのルート

この中の①や④は、結局伝わった先や途中で茶が栽培されるようになるのだが、②や③は中国でできた茶葉の貿易が中心である。中でも③の「茶葉の路」は、その名が表すように「茶」が通商で取り扱われる商品の中核を成していたというところが驚きである。

茶葉の路が形成されたのは17世紀の半ばで、1679年に中露両国が『ネルチンスク条約』を締結し、貿易関係を樹立したことに始まる。当時の中国は清の時代である。但し、最初の頃、茶葉はそれほど重要な商品ではなかった。

その後いろいろあって、1850年には、このルートで中国から輸出される輸出額の75%が茶葉になったというから驚きである。(このルートというのは、北京 → 張家口 → ウランバートル → キャフタ)

キャフタというのはバイカル湖の南、現在のモンゴルとロシアの国境のロシア側にある都市である。キャフタで取引された茶葉は、シベリア地方や最終的にはモスクワまで運ばれたそうだ。私たちが今イメージできるロシアのお茶と言えば、紅茶にジャムを入れて飲むジャムティだが、1850年の頃にはどんな飲み方がされていたのだろうか? まだ調べ切れていなくて私は把握できていない。

ちなみにこのルートでは中国側の貿易黒字がどんどん貯まったという。ロシア側が輸出できるのは毛皮類が中心だったようなので、飲めば消えてしまうお茶と長持ちする毛皮での差が出てしまったのだろうか。

■ 200年足らずでロシアでの市民権を得た「茶」

1679年から1850年まで、約170年である。その間にゼロに等しかった茶葉の対露貿易が、総貿易額の75%を占めるようになるとは、これを「茶」の魔力と言わずして何と言えばいいんだろう? 

ともかくそこまで貿易量が増えたということは、最早お茶がお金持ちだけのものではなくなったことを示している。

そして、「茶葉の路」という国際幹線道路までできてしまったワケだから、その力は大したものではないか。その後、海運が発達することで陸路である「茶葉の路」は運賃が高くつくためにその役割を終えたげれど、この道は現在も幹線道路として残っているようだ。

■ ワインにも「ワインの路」があるの?

当然そんな疑問が湧いてくる。そこで私は『ワインで考えるグローバリゼーション』という本を読むことにした。読んだらまたここで紹介したいと思う。



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2016-03-08
土筆といかなご


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ワインと茶とイギリスと


2016-02-03
『ワインで考えるグローバリゼーション』を読んだ


2016-01-25
「試(こころみ)」というコンセプトの日本酒バー


2016-01-22
恐るべき「茶」の魔力・・・はたして「ワイン」の魔力は?


2015-12-16
メジャーじゃない品種に目を向けるために・・・2


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[番外編] アップルが嫌いになって来た



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